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2016年7月19日 (火)

風邪をひかれ

 少しずつ、ほとんどわからぬ程度に闇が薄れだした。音もなく降る雪が朝の訪れまであいまいにしていた。馬たちは疲れも知らぬように強まる光の中を進みつづけた。〈北の大街道〉の広い路面をおおう雪は今や馬のけづめ毛の高さまで達し、ひづめの音をかき消している。ガリオンは一度うしろをちらりとふり返った。一行の足跡が入り乱れて後方に伸び、視界がきかなくなるあたりでは早くもそれが雪におおわれはじめていた。
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 じゅうぶんあたりが明かるくなると、ミスター?ウルフは汗をかいている馬の手綱を引いて、しばらく歩速で進ませた。「どのくらいきたかな?」とシルクにたずねた。
 マントのひだに積もった雪を払っていたイタチ顔の男は、舞いちる雪片のペールの中に陸標を見つけようと周囲を見わました。「十リーグかもうちょっとというところかな」とようやく言った。
「こいつは気の滅いる旅のしかただぜ」バラクが太い声を出し、鞍の中で巨体を動かして顔をしかめた。
「おまえを乗せている馬の気にもなってみろ」シルクがにやにやした。
「カマールまではどのくらいあるの?」ポルおばさんがたずねた。
「ミュロスから四十リーグだ」シルクが言った。
「では休息所が必要だわ。背後に何者がいようと、四十リーグぶっつづけに走るのは無理よ」
「さしあたって追っ手の心配はないと思う」ウルフが言った。「ブリルとやつの手下にせよ、アシャラクにせよ、われわれを追跡しようとすればアルガー人たちにひきとめられるはずだ」
「アルガー人でも役に立つことはあるんだな」シルクが皮肉めかして言った。
「わしの記憶が正しければ、あと五リーグばかり西に高級旅館があるはずだ。昼までにはそこへつく」
「わたしたちがとめてもらえるでしょうか?」ダーニクが疑わしげにたずねた。「トルネドラ人が親切だという評判はついぞ耳にしたことがないんですがね」
「金を払えばトルネドラ人はなんだって売る種族だ」とシルク。「休むにはその旅館がもってこいだ。たとえブリルかアシャラクがアルガー人たちをまいてここまでわれわれを追ってきたとしても、軍団兵たちが城壁内の愚を許すわけがない」
「どうしてセンダリアにトルネドラの兵隊がいるの?」その考えに愛国的な怒りがこみあげてくるのを感じながら、ガリオンは訊いた。
「大きな街道があるところならどこでも軍団がいるんだ」シルクは説明した。「トルネドラ人は客をごまかすことより協定書を書くほうが得意なんだよ」
 ミスター?ウルフはおかしそうに笑った。「支離滅裂だな、シルク。かれらの道に文句はないが、軍団は気にくわんというわけか。軍団と街道は二つでひとつなんだ、片方だけというわけにはいかんよ」
「つじつまを合わせるふりをしたことはないんだ」尖った鼻の男はすまして言った。「安楽かどうか疑わしいが、その高級旅館に昼までにつきたいなら、もう行ったほうがよくないか? ふところが軽くなる機会をむげにしたくない」
「よし。先を急こう」ウルフは早くも走りだそうとうずうずしているアルガーの馬の脇腹をかかとで蹴った。
 雪の降る昼の光の中を一行がたどりついてみると、くだんの旅館はひとつづきの頑丈な建物で、そのまわりをさらに堅固な塀が囲んでいた。配置されている軍団は、これまでガリオンが見たトルネドラの商人たちとは別種の人々だった。口先のうまい商売人とはうってかわって、これらの連中は光る胸当てと羽毛のついた兜に身を固めた険しい顔のプロの戦士たちだった。かれらは誇らしげに、わがもの顔にふるまい、各自が全トルネドラの権力を背負っているのだという意識を持っていた。
 食堂での食事は簡素で衛生的だったが、おそろしく高かった。硬くて狭いベッドとぶあつい毛織りの毛布がついたちっぽけな寝室は、なめたように清潔だったが、食事と同様高かった。厩はきれいだったが、やはりミスター?ウルフの財布を大いに軽くした。ガリオンは自分たちの宿泊代はどのくらいするのだろうと思ったが、ウルフは財布が底なしであるかのようになにくわぬ顔ですべての料金を支払った。
「あすまでここで休養する」一行が食事をたべおわったとき白いあごひげの老人は宣言した。
「朝までには雪もやむかもしれん。吹雪をついてしゃにむに進むのは気が進まんのだ。こういう天候だと道中何がひそんでいるかわからんからな」
 疲れはてて放心状態だったガリオンは、テーブルに坐ってうつらうつらしながらこの言葉を聞いてほっとした。他のみんなは静かに話していたが、とても内容に耳を傾ける気力はなかった。
 ポルおばさんが見かねて言った。「ガリオン、もう寝たらどうなの?」
「大丈夫だよ、ポルおばさん」子供扱いされるのが癪にさわって、かれは急いでしゃんと上体を起こした。
「今すぐ上へ行きなさい、ガリオン」かれにはおなじみの有無を言わさぬあの口調で、おばさんは言った。生まれてこのかたずっとガリオンは「今すぐよ、ガリオン」と言われつづけているような気がした。だがかれは口答えするような愚かなまねはしなかった。
 立ちあがってみて、脚がガクガクするのにびっくりした。ポルおばさんも席を立ち、かれを食堂から連れだした。
「ひとりで行けるったら」ガリオンは反撥した。
「もちろんよ。さ、いらっしゃい」
 ガリオンが小部屋のベッドに這いあがると、おばさんは首もとまで毛布をひっぱりあげてかれをしっかりくるみこんだ。「はいではだめよ。たら困るわ」おばさんはガリオンが小さな子供の頃やっていたように、ひんやりした手をちょっと額に当てて言った。
「ポルおばさん?」ガリオンは眠そうな声でたずねた。
「なに、ガリオン?」

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